File#04 ふくだのりゆき 

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アニメーター・インタビュー《第4回目》ふくだのりゆきさんの登場です!
80年代~新進系のスーパーアニメーター集団として一世風靡した“スタジオZ5”に所属、本橋秀之氏を師と仰ぎアニメーター修行をされました。現在は作画、演出の他、新人アニメーターへの指南にも尽力されており、これまでアニメ業界の体質改善、アニメーター地位向上の理念のもと活動されてきたふくださんに少々“つっこんだ”業界のお話しを伺いました。

【プロフィール】
1966年生まれ。千代田工科芸術専門学校アニメーション科卒業。JAniCA日本アニメーター・演出協会の発起人、世話人。(現在は退会)スタジオZ5、ぎゃろっぷを経てスタジオD-HASHを発起人となって立ち上げる。その後、アニメーションスタジオ・あさどやに参加。現在は「スタジオあなろぐ」代表。代表作として、『はじめの一歩 OVA 間柴vs木村 死刑執行 』総作画監督 最近では『バキ』等

きっかけは、ヤマト!

アニメーターを目指したきっかけは?

ふくださん(以下F)
小・中学校時代、いわゆるアニメブームで僕らはみんな『宇宙戦艦ヤマト』、あと『ガンダム』ですね、きっかけはね・・僕は『ヤマト』が大好きだったわけで。がっつり、『ヤマト』 にはまって、アニメの情報をどんどん入れていくわけですよ。それで、アニメーターという仕事を知ったんです。中二の文集にも「将来アニメーターになる!」って書いて。そして高校卒業後、アニメーション科(専修学校)にすすみました。

2年間、専門学校で学ばれてどうでしたか?

F)そうですね、基本的なことはだいたい教わりましたよ。「パース」とか、「イマジナリーライン」も教わったし、でもテクニック的な指導あまりなかったかな・・

卒業後はスムーズにアニメ業界に就職されましたか?

F)僕はあまり、できのいい生徒ではなくって・・(笑)単位が足らず、卒業式にも出れずにずっと補修を受けてたりしてたんですよ。そうすると就活のタイミングを逃してしまい、学校の求人も埋まってしまって、ぎりぎりまで何も決まってなかったんですけど・・でも在学中にいくつかスタジオ見学に行っていて、OHプロとか日アニとか 、その中で「スタジオZ5」にも行っていました。帰り際に「席の空きあるよ」って言われていたの思い出して、そこに絵を持っていきましたね、そしたら採用が決まって。あんまり簡単に決まったんで拍子抜けした感じでしたね 。

スタジオ入って最初、どんな仕事をされたんですか?

F)最初はまあ、動画ですよ・・『プロゴルファー猿』でしたか。そこで、当時のスタジオZ5 の代表であった亀垣一さんとその同格でいらしゃったのが本橋秀之さんで、僕はその本橋さんの下でアニメの技術なんかを教わったんです。

本橋さんといえば‥当時『ゴッドマーズ』人気がすごかったですね!

F)いわゆるB.Lの始祖みたいな作品ですよね。キャラクターが受けていたわけですが、それを描いたアニメーターも人気者になるなんて、その時代ならではですよね。ゴッドマーズのキャラが好きでZ5に入ったんですが、その入った時は放送から5年ぐらい経った時で勿論作品は完結していました。しかし自分がラッキーだと思ったのは動画2年目の頃にゴッドマーズのスピンオフ作品『17歳の伝説』がビデオアニメ化されたんです。そこで動画として参加できた。感無量でした。

ちょっとうらやましいですね‥(笑)たしかに荒木[※1]系美形キャラが熱狂的な女性アニメファンを作った作品だったと思います。
では動画から原画に上がるのはどういう経緯でしたか?

F)昔は動画○枚ノルマとかあったんですが、うちのスタジオの場合“師弟制”だから、師匠が「おまえ原画にあがれ」っていったら、原画になるという感じだったんですが・・
実は2年目くらいに「やってみるか?」って言われたんだけど、ちょうどその頃師匠とケンカして「もう原画やらせない!!」って(笑)そこから1年半くらいたって、また原画に上がるチャンスがあったんだけど、またそこでケンカして・・;;

大変でしたね・・;(笑)

F)当時の(本橋)師匠は、けっこう周りから怖がられていたりして、例えばよくある話で「まずい(下手な)原画」なんかには・・ひどいですよ!紙の束をホッチキスで止めて上にでっかい文字で「バカ!!」って描かれたりなんかね。他にもいろいろ・・“荒くれ者”で、手がつけられないっていう話もあるんですが・・(笑)

そんな、、数々のトラブルを乗り越えて、原画に昇進されたんですね (笑)

F) ええ、、自分も負けずキライだったから、逆にそういうことされると「なにくそ!」ってなりますしね。「やってやるぞ!」って思うから良かったんだけど、ふつうだったら辞めますよね~

そうですね・・心折れますね (笑)

F) そそ‥。ただ思ったのは、自分の居たスタジオZ5はレベルは高かったんですよ。“新進気鋭”の集団だから、スーパーアニメーターなんかがゴロゴロいて、見るものすべて「学べる」環境でしたから。他のスタジオの友人の話なんか聞くと、やっぱり「ぬるい」んですよ。直しとか入らないって聞くし、それに比べてこっちはOKでるまで何度も描き直しだし、地獄のような・・ですかね。でも自分はここに居れば、技術は間違いなくつく、という確信があったので、我慢するしかないというかね。
あと、なんだかんだ言っても師匠の絵が好きでしたから、やっぱり。それを自分のものにしたいというか、師匠の技術を盗みたかった・・というかね。

憧れのアニメーター、アニメ雑誌の人気投票でも本橋さんは上位ランキングでしたね!

F)ええ、すごかったんですよ。全盛期には バレンタインデーなんかには段ボール一個くらいチョコが来ていたらしい し(笑)若い女の子のスタジオ見学もちょこちょこありましたね。

当時は個々アニメーターの絵や作画スタジオの個性が反映されていて、作監の○○さんというのがファンにはわかりやすかったですね。

F)具体的にいうと、昔『宇宙戦士バルディオス』という作品があって、ローテーションでZ5が入ってたんですよ。それで他の話数と違って、(スタジオZ5の担当回)「絵が妙にかっこいいぞ」って言われて。それで目立って、話題になり『戦国魔神ゴーショグン』に続いていって、作画スタジオとして有名になり『ゴッドマーズ』での本橋さんキャラデ、総作監~という流れがありました。

面白いですねー。今はそういった作画の個性が目立つことはあまりないので、そういう意味では少しさみしいというか、残念な気がします。

F)うん・・そこはある意味、不幸なのかな(笑)

[※1]荒木伸吾(1938~2011):
端正な美形キャラクターの作画で知られる伝説的なアニメーター。
やわらかく美しい曲線で描写された髪、目力が強く、鼻筋の通った顔、メリハリを強調したフォルムで描かれる人体、鬼気迫った表情など特徴的なキャラクター作画や、身体のしなやかさ、伸び縮みを強調したアクションには数多くのファンが存在する。