File#03 数井浩子 

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アニメーター・インタビュー《第3回目》になります。
今回はアニメーター・演出家として第一線で活躍されていると同時に脚本、コラム等の執筆業やiOS教育アプリ「アニメのミライ」企画・制作も手掛け、現在(2019年)は京都精華大学教員として教鞭をとられるなど、幅広い経歴をお持ちである数井浩子さんの登場です。

【プロフィール】
アニメーター・演出家 。教育学修士。35年以上にわたり、『らんま1/2』『忍たま乱太郎』『ケロロ軍曹』など250作品以上の作画、演出、脚本に携わる。キャラクターデザインでは、萌えバスとして話題になった『ふしぎ星の☆ふたご姫』や『大人女子アニメ「人生ベストテン」』『ドコモCM「星プロ」シリーズ(サブキャラ)』など。絵コンテでは『3月のライオン』『物語シリーズ』『炎炎ノ消防隊』などを担当。監督作品として、『エウレカセブンAO~ユングフラウの花々たち』がある。

アニメをはじめたきっかけは「偶然」?

はじめに、アニメーターの仕事をはじめたきっかけが学生中のアルバイトだったということですが?

数井さん(以下K)
短大に通っていたときに、偶然、家と大学の中間地点にアニメスタジオ(亜細亜堂)がありまして、最初はアルバイトとして「動画」の仕事をはじめました。高校時代には漫研に入っていたりして、絵を描くことは好きでしたが、自分がアニメーターの仕事が出来るのかわからなかったので、まずは「自分の力でどこまでやれるのかな・・?」という感じで、週3で大学の帰りに通っていました。

当時の動機として、すでにプロのアニメーターになりたいという希望がありましたか?

K) できたらプロになりたいとは思っていましたが、自分に向いていなかったら別の仕事をしようと思っていました。当時は「男女雇用機会均等法」が成立されたばかりだったので、一般的にはまだ女性は給与や待遇面では平等ではなかったんですけど、女性の先輩から、「アニメーターは性別に関係なく、出来高の単価支払いだから“平等”なんだよ」って言われて、それはいいかも、と思いました。

なるほど。給与や待遇に男女差はないという職場は、純粋に自分の実力が試せる、と。

K) 当時、大学の同級生からは、見えないところで男性社員が優遇されているという話や、給与面での格差があるといった不満をよく聞いていたので。とはいえ、どこまで自分がきちんとアニメの仕事が出来るのか分からなかったので、短大在学中の2年間、動画を続けました。授業が終わると亜細亜堂に行って、終バスまで仕事するという生活をしていましたね。ときどき徹夜して、そのまま学校に行ったりもしてました。短大を卒業するころには、なんとかそれなりに描けるようになっていたので、両親を説得してアニメーターになることにしました。

すごい(笑)それで本格的にアニメーターの道に進まれたんですね。その流れで次のステップである「原画」に?

K)そうですね。亜細亜堂では、「原画試験」がありまして、それに合格したら上がれるというかたちでした。
当時、動画や動検は契約社員(フリーランス)でしたので、原画になると一時的に収入が下がるんです。それで、そのときも動画のときと同じで、朝から夜まで毎日仕事していたら、2~3年でそれなりに食べられるようにはなりましたね。アニメ業界というと長時間労働がクローズアップされますが、原画をはじめたばかりの自分にとって、先輩たちがみなさん、仕事の出来る人ばかりで、早く先輩のように良い原画が描けるようになりたいな~、と身近な人を目標にしながら頑張れたので、長時間仕事することも苦しくなかったのかも知れませんね。まわりの人たちにはすごく恵まれてました。

その当時の亜細亜堂は、アニメーター同士、競争意識のある現場でしたか?

K)私は、誰かと競争するのはあまり得意ではないので、どうだったかよく憶えていないのです。どちらかというと自分の中の「昨日の自分」と競争するというか、昨日より今日、今日より明日の自分がうまくなるといいな、みたいな。

そうなんですね…

K)「昨日の自分」と戦うほうが、人を傷つけることもなさそうなので平和な気がします(笑)。
子どものときから、褒められることが苦手で……変わった子だったかも知れないですね。世間の評価にはあまり興味がない子どもでしたね。

うむ…。数井さんご自身としては競争意識とか上下関係とかあまり意識していないかとは思いますが、例えば、アニメーターでいえば、「作画監督」や「キャラデザイン」といった役職はやはり「上」になるかと思いますが、そのへんはどう捉えてますか?

K)そうですね。仕事上は上とか下とかの関係があるのかも知れませんが、個人的には、政治的なことにはほとんど興味がなくて(笑)……もしかすると「イヤな奴」かも知れませんね。

「イヤな奴」ですか‥!?

K)えっと……政治的なことには興味がないのに、人によっては「上」だと思うポジション、「総作監」とか「キャラデ」を引き受けるのは微妙なのかな、と。自分としては、ただ「明日はもっと(自分が)良くなるといいな」と思っているだけなので、ちょっと天然というか、頭が悪いというか……。

(笑)では、そんな日本のアニメ界から離れて、海外に行かれたのはどういうきっかけだったんですか?

K)知り合いから偶然カナダのアニメスタジオを紹介していただいたのがきっかけです。「じゃ、行ってみる?」という軽いノリでした。「カナダのアニメスタジオを見てみたい」くらいの単純な動機でしたね。。

そんな…軽いノリで大丈夫だったんですか?(当時、「らんま1/2」の作画監督でしたが)現場を離れる準備はスムーズに行きましたか?

K)当時は、局や代理店の都合でいきなり制作期間が1~2ヵ月空くこともあって、プロデューサーもフリーのスタッフには強く言えなかった事情もありますが、社長さんと今後の話をして、次の作画監督が決まった時点で、いったん離れました。最後の作監話数(「#53「良牙、愛と苦悩を越えて」)はカナダに出発する日の朝まで作監チェックをしていたので、徹夜明けで成田に向かいました。

それって、超人的すぎますが…。(笑)
では、カナダのアニメ制作現場、制作システムについて、日本との違いや感じた点などお聞かせください。

K)一番大きな違いは、「カナダタイム」です。ほとんどの社員は、朝9時前には出社して、午後4時には帰宅するんです。家族との時間が一番大事、という価値観なんです。でも、仕事が終わっても終わらなくても帰るので、最初はビックリしました。もちろん中には自宅に仕事を持ち帰る人もいましたし、週末でも出社している人もいて、選択肢はいろいろあったようですけれど、仕事のメリハリがはっきりしている文化で、面白かったですね。とはいえ、私は仕事が好きだったので、毎日朝9時から夜11時まで働いていました。カナダ人スタッフからは、「Be careful of KARO-SHI!(過労死に気をつけて)」とよく心配されましたね(笑)。

[日加タイムス 1991年]